死と生
永遠の生は聞いたことがない。生まれたとたん、日、一日と
死へ向かっている。あと50年たてば、朋輩、先輩はほとんど
死んでいるだろう。あと100年たてば、自分の子どもたちも
死んでいるだろう。むなしい気もする。
生きていることに何の意味があるのか?
地球を汚している人類もいつかは滅びるだろう。ではなぜ生きて
いるのか。昔の俺の答えは簡単だった。「幸せになるため」
若い時には生きる歓びがあった。
コーナーをオートバイで攻めていて、転倒。すんでのところで、対向車に
ひかれるところだった。
スキューバダイビングで、海中の洞窟に閉じ込められ、あやうかった。
ヨットで沖に出ていて、突然の嵐に遭う。帰港を急ぐが、風と潮流との
影響で船体が激しいビーティング。いつ浸水してもおかしくなかったが、
なんとか母港にたどりつく。
パラグライダーで遊んでたのはいいが、失速して山の中へ墜落、
(今もって理由はわからない)。パラシュートを投げるひまもなかったが、
木々の枝がクッションとなり軽症ですんだ。
どれも、ああ、五体満足で、いきてて良かったというのが本音。
でも、危険なことをしなければ、「生きる歓び」を味わえないのか?
俺にとってはYESかもしれない。
子どものために、好きなこともあきらめ、せっせと貯蓄にはげむ。
平凡が一番の幸福という人もいる。そのとおりと思う。
老いた親、これから羽ばたこうとしている子ども。いずれも大切だ
けれど、自分のために生きていない現況には気持ちが沈む。
贅沢な悩み?とわかっていても沈む。
したり顔で、仕事・人生を語る上司。現社会を分析する部下。
お前ら言っていることは100%、他人の受け売り。自分自身なん
てない。今は毎日いらついている。
救いは園芸かな。今はバラにこっている。植物は余計なことは
言わない。